倉谷さんという人物を、一言で形容するならば、「とんでもない人」という表現がぴったりとあてはまる。
今から10年ほど前、急にふいッと家族を引き連れ、熊本の山に移り住んだ。それまでは福岡で一・二を争う大手写真館の、いわゆる幹部候補生だったのに、その経歴をあっさりとかなぐり捨てて、自身の「カメラマン」としての腕一本で生きる道を選ばれた。
元来アウトドア好きだという事は知っていたが、家族ぐるみで、山間部に移住するほどのアウトドア好きだとは思わなかった。我々の仲間内での「脱サラ」第1号が、倉谷さんなのである。
その彼の生き様に触発されたのか、(はたまた、たちの悪い流行(はや)り病(やまい)のように伝染したのか・・・・)、僕も含めて、彼の周りにいた数名が、その後数年のうちに次々と「脱サラ」してしまった。もちろん各人の脱サラの動機は、「倉谷さんが辞めたから、俺も・・・・」などという短絡的なものではないのだが、彼の転身ぶりに刺激を受けたことだけはまちがいない。人の人生を変えるほどの影響力がある点でも、この人はやはり「とんでもない人」なのだと思う。
倉谷さんも僕も、昭和30年代の生まれ。一番多感な中高校生の時期に「ブルース・リー」というスーパースターが大流行した。カンフーブームと呼ばれた1970年代を、青春時代として生きてきた世代なのである。当時、ブルース・リーの華麗なまでの技に触発され、空手や拳法の道場の門を叩いた青少年の何と多かったことか聞くところによると倉谷さんも町道場に通っていたそうである。足腰を鍛えるため、「鉄ゲタ」を履いて、日々地道な鍛錬を欠かさなかったらしい。鉄ゲタを履いて実際に足を鍛える人なんて、その昔流行(はや)ったテレビ番組『柔道一直線』の主人公「一条直也」か倉谷さんくらいしか僕は知らない。
いつのことだったか、一緒にアウトドア旅行をしている時、酔っぱらった倉谷さんが、後ろ回し蹴りで建物の壁に、自身の足形どおりの穴を開けてみせたことがある。鉄ゲタで鍛え抜かれた脚力とは、かくも凄まじいものか・・・・と舌を巻いたのを覚えている。
倉谷さんは呑むと、ひときわ饒舌(じょうぜつ)になる。自身の体験や見聞したことをいろいろと話して聞かせてくれるのだが、これがなかなか聞き応(ごた)えがある。だいたい呑んで喋りだす人間の話など、聞きたくもない自慢話や愚痴がほとんどだと相場が決まっているものだが、彼の話は殊(こと)の外(ほか)面白い。元高校の教員である我々が聞いても、「木戸銭(きどせん)を払いたくなる」くらい、ためになるウンチク話を次から次に披露してくれる。彼の「知識の引き出し」の多さに感動させられることがしばしばある。
4年ほど前から、愛息子(まなむすこ)に中国拳法を習わせ始めたらしい。学習塾だ、ピアノだ、英会話だ・・・・と、子供のお稽古事なら、いろいろとある昨今のご時勢に、「男の子は雄々(おお)しく逞(たく)しく育てるべきだ!」という、質実剛健を絵に描いたような教育を実践されている。
最初の頃は息子の練習日に、大人しく道場までの送り迎えをやっていたらしいのだが、いつの間にか(昔取った杵柄(きねづか)とばかりに?)、息子よりも、当の本人のほうが拳法修行にのめり込み始め、現在そこの道場の師範代を務めている。
(ここまで根気良く読み進んでいただいた方になら、熊本は猟師山にある「クラタニ写真工房」の入口に、何故(なにゆえ)大きなサンドバッグがぶら下がっているのかが理解していただけると思う。)
倉谷さんは、今年50歳になった。かの『論語』によれば、五十歳は「知命」といって、「天命を知る」年齢だと言われている。「そろそろ落ち着く年恰好(としかっこう)」という意味なのだそうだが、倉谷さんがこじんまりと落ち着かれる様子は微塵(みじん)もない。
まだまだこれからも、何か「とんでもない」ことをしでかしてくれそうである。
周囲の我々はそれを楽しみに待つこととしたい。( 期待してますよ、倉谷さん! )
文責:酒井俊男( 革工房『金木犀』同人 )